夜が閉じ込めてややスライドする頭


 人はみんな支柱を探していると思う。
 何かについて語るとき、それを支えにするのだ。
 自身で支柱を持っているつもりでも、
 それが実は存在しなかったと気づかされるときがある。
 もしくはぶっ壊されるときがある。
 私はまだ当然作っている段階です。
 あるいは、持ちたくないのかもしれない。
 どこにも属したくないのかもしれない。
 そうやって、支柱を持って、どこかに属して、
 語りたがる人たちを、嘲笑いたいのだろう。
 あーあー。って。
 なんて。

 +++

 私は夜間部屋にいるとき、電灯をほとんど点けない。
 キャンドルを灯している。
 少しずつ、世界が消えていく気がする。
 あー別に死にたいとか、そういうんじゃなく。
 閉じ込められてる感覚が好きで。 
 でも現実感は遠ざけたくて。
 
 こんな夜はもうひとつの世界へ旅立とう。

 ということで、これから夜はクライヴ・バーカーの『ラスト・ショウ』を読もう。
 この現実からスライドして、閉じ込められてる感覚。
 どこかにある安心感(なぜかといえば現実からスライドしてるから)。
 中学・高校時代は、家にいるときはそうやってほとんどスライドしてた。
 キングやクーンツ(まだディーン・R・クーンツの頃)や、
 ホラー作家だった頃のマキャモンだとか、ジョン・ソール、ダン・シモンズ等々。
 今ああいうの(いわゆるごついモダンホラー)って下火よね・・・残念ながら。
 今思えば、私は守られていたのかもしれない。彼らの作品に。
 透明な箱に入り、隔離されているような。そこだけもうひとつの世界にスライドして。
 私は反抗期的な時期でもあり。
 「おまえに食わせるタンメンはねえ」的な言葉を父親に吐いていた。
 仲のよい友達がヤンキーになったり、別の友達と付き合うようになったり、
 今にして思えば、いろいろ動きがあったんだなあ、あの頃は。
 結局いま地元に帰ったときにつるむのは、もともとの、
 つまり中学以前から付き合いのある友人たちばかりだ。
 ぐるりとまわって元に戻ったのだ。

 あ、話が逸れてる。
 本を読むっても、キャンドルの灯りで、じゃないよ。

 これを使うのです。けっこうよい。ブックライト。

 さっきもろにLEDライト見てしまった。目がチカチカ。

 だから、と先の続きになるが、私はエンターテイメントが、
 その要素がある作品が好きなのだろう、今でも。
 あいまいなもの、抽象的なものを、
 文章で果たしてどう表現しようかと挑戦しているような、
 文学的要素の強いものは、好きではない。
 それは私をもうひとつの世界につれていかない。
 読み手に魔法をかけることもできずに、
 それでいてただ表現がすばらしいとかいう賛辞をもらっている作品は、
 おとといきやがれこの野郎という感じだ。

 そういう意味で、私は魔法は存在すると思っている。
 いや、知っている。存在すると。私はかかったことがあるから。

 +++

 じゃーまた。
 明日はよい日になるとよいなあ。
 
 あーどの短編集だったかなあ。
 「毎日がバレンタイン」という短編だっけか?忘れたけど。
 男が次々と住宅街の住民を撃ち殺していく話で。
 でも最後に撃たれた人たちがみんなムックリ起き上がるのね。
 で、みんなそこらへんの人たちと仲良くハグしはじめて。
 で、男が最後に言うのが、

 「毎日がバレンタイン・・・」

 って台詞だったような、違うような。

 たまに思い出すんですよ。
 そんなHappy、やってこないかな。

 追記:
 上記の短編ですが、
 『ゴーサム・カフェで昼食を』の中の1編じゃないかなあと思うんだけど、
 手元にないので確認とれず・・・。
 でも収録作品のタイトルに、バレンタインを思わせるものはないなあ・・・。

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