ふつうのこと


 人の自慢話を素直に聞いてみたい。
 必ず私は揚げ足を取る。
 揚げ足ってこの場合、言うのか。
 自慢話と言うか、
 自分の評価は不当である、
 もっと高く評価されて然るべきであるとか、
 そういう話である。
 仕事のことではない。
 ルックスとか、人間性とか、そんな部分。
 うるっせーよ!って一蹴してやりたい。
 まあ半分してますが(笑)。
 あ、仲悪くない人に限りますよ、そんな対応。
 そんだけ自分を高く評価するなら、
 実際を伴って見せろって、ねえ。
 まあ、俺はこんなもんじゃないという部分と、
 いや、俺なんかはこんなもんだという部分とが、
 複雑に絡み合っているんだろう、彼。
 今度はちょっと、褒めておこう。

 私となんとなく、似ているから。
 私よりは、素直だけれど。

 +++

 前に聞いた話を、もう一度される。
 世間話である。
 あー前に聞きましたよ。
 というのは強すぎるので、
 あー前に言ってましたよね、と、
 さりげなく自分が聞くのは二回目かもしれない、
 という空気を醸し出したいのだが、出せない、私。
 こういうタイミングの掴み方って、
 人間関係においては、実に重要な気がする。
 さりげなくそのタイミングを掴める人が、私はうらやましい。
 意識には上るのだが、
 つまり、前に聞いたなあこの話、
 「あー前に言ってましたよね」と言うべきかな、
 という思考は出てくるのだが、それが実行には移らない。
 
 話が大きくなるが、コミュニケーションなんて、そんなもんだ。
 要は、中身はなんだっていいのだと、そう思う
 (もちろんたとえば私には縁はないが、
 商談なんかだったら中身が何でもいいわけはない。
 ここで言っているのは世間話のことだ)。
 自分の思考を相手に伝えるか否か、それだけだ。
 自分と世界が重なっている人だったら、話を深く掘っていけばいい。
 大袈裟に言えば議論だ。
 自分と重なっていない人だったら、
 相手の世界を教えてもらえばいい。つまり単純な質問だ。
 そして応えに感心すればいい。

 私はコミュニケーションが得意ではない(と思う)。
 レスポンスの早さに、ときどきでだいぶ差があるのだが、
 それ―早さを決めている要因が自分でも分からない。
 条件反射的に即座に言葉を返すときもあれば、 
 不自然なくらい間が空いた割には、深みのない言葉しか
 出てこないこともある(別に深い言葉を返す必要はないが)。

 まあ、自分のそんな部分を気にしていた時期は、
 数年前・・・で、終わっていると思う。
 昨今はあまり気にしていない(親父化しているのか(笑))!
 ただ楽しむ気持ちを持てば、
 それだけで、会話の空気はよくなってくるものだ。
 あと、年を取ってくると、
 思い出話、という武器が出てくるのだ。
 望まないシチュエーションでの会話には、
 こいつが多用されることもある。便利だ。

 こいつはTumblrからだが、
 "コミュニケーション能力"という言葉は適切ではない。
 ある人物の持つコミュニケーションへの活発性は、
 その人物が、他人とコミュニケーションしたいかどうか、
 その部分に依っているのだ。コミュニケーション意欲。
 だから、俺/私はコミュニケーションがどうも・・・と思う方は、
 他人に興味を持てばいい。持ちたくなければ別にいいけど(笑)。
 でも興味を持てそうな人がいたら、持った方が得だと思う。
 興味があれば、自然にコミュニケーションへの意欲がわく。
 そして扉は開く。自然にコミュニケーションは開始される。
 気を回しすぎて自分から扉を閉めない限りは。 

 どうも話が長いな。そして偉そうだ。
 もっと卑屈になろう。
 もはや誰に向けて書いているのか分からない(笑)。
 ああ眠い。
 
 たまに自身の中に二面性を感じる。
 良心的に見せようとしているわけではないのに、
 そう見られている節があって、
 ときに辛辣な態度を取ったりすると、意外な顔をされる。 
 もちろん私自身が私であることに変わりはない。
 二面性という言葉で表現できるほど人間が単純だとは思わないが、
 よしんば二面しかないにしても、それはどちらも私なのだ。 
 だから「けっこう毒舌だよね」なんて言われても、
 「素直なだけですよ」なんて、笑って返す。

 恐れるなかれ。
 他者との関わりにマイナスイメージを持ってはいけない。 
 なぜなら、自分という人間が、自身で捉える自分と、
 他者から捉えた自分(を知ること)で決まるのならば、
 他者との関わりは自分を作る重大な要素であり、
 とても刺激的で、楽しめることであるからだ。 

 と思う(なんか弱気)。

 少なくとも、自分独りで自分をビルドアップしていくよりは、
 社会的な態度であると思うし、それが"真っ当"なことなのだろうと思う。
 よほど才能(バカも含む)があるのでない限り、
 真っ当な生き方をする意外に道はないのだと、
 人と関わりながら自分を知り/作り、他人を知り/作り、
 そうやって人間の一員として生きるのがベターなんだと、誕生日を過ぎた私は思う。
 だからそう、自分に関心を持つのと同じくらいに、
 他人にも関心を持った方が、何かと、面白い人生が送れるはずだ。
 私は思春期に自身に関心を持ち過ぎた(いや、過ぎてはいないかもしれない)。
 その他人に気を向けていなかった分、
 これから向けていく意欲がある(変な言い方)。

 だからね、とりあえず口開けばいいのよ。
 ダメなこと言ったら、周りが教えてくれるから。

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