人はなぜオバケ屋敷に入るのか

 という、なんだか新書のタイトルみたいな件名だな。
 そういえば何の根拠もないけど、
 何についてもでもよいのだけど、
 タイトルだけは上手くつけられそうな気がする、ワタシは(笑)。
 雑誌で中原昌也氏もそう言っていたな。
 いや、正確には言われていたのか。

 ま、それは置いておいて。

 僕はオバケ屋敷が嫌いなのだが、
 なぜ、人はわざわざ入るのかと、ふと疑問が生じた。
 わざわざ怖がりに行くってなんかおかしい。
 怖がりたがりなのか。
 スプラッタ映画観てキャーキャー言うのとは、
 また違う感覚なのだろうと、漠然と思う。
 そこに行けばビビらされると分かっているのに、
 敢えて突っ込んでいくその心理はなんなのだろうか。
 根底にある欲望はなんなのであろうか。
 
 決して獲ったり食われたりされないという、
 あるルールにのっとった安心感があるというのが、
 まずポイントなのだと思う。
 その上で、スリルを味わえるのだ。
 まあそれは実際の"やるかやられるか"のスリルとは、
 格が違いすぎるのは言わずもがな。
 そのスリルを味わうことに目的があるのだとすると、
 日常の中でなかなか味わえないスリルを―
 いや日常の中にあるスリルはできれば
 味わいたくないものだろう、なぜならそれは、
 現実に直結して苦悩をもたらすものであるだろうから―
 そこで"摂取"しているのだとも考えられる。
 
 つまりスリルを味わわなければ味わわないで、
 どこかバランスが取れないのではなかろうか。
 心のバランスが。平和ボケしてしまうというか。
 でも人はわがままだから、
 スリリングな"生活"ってやつは嫌なのだ。
 だからそこで、生活と切り離した、
 擬似的なスリルを味わうことで、
 心をボケさせないようにしているのだ、とも考えられる。

 そうすると、平和ボケ予備軍の心にある、
 ある種の防衛機構が、
 オバケ屋敷に入らせているんですかね。

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 関係ないけど、まったく、
 ミドリカワ書房がソニーと契約を解消していたことを、
 今さら知りました。大丈夫なのか!!


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