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POSSESSION


POSSESSION_d0065149_22395077.jpg僕は大学生の頃、中古のビデオ屋さんを巡って、自分の好奇心を満たすような作品を買い集めていたことがあった。この『POSSESSION』もそのひとつ。とあるムックでその評価を目にして以来、どうしても見たかった。脚本・監督はアンジェイ・ズラウスキー。僕は未見だが『夜の第三部』(71)や『悪魔』(73)、ドストエフスキーの『悪霊』をベースにした『私生活のない女』(84)、同じく『白痴』を映画化した『狂気の愛』(87)などを手がけた、奇才のようである。で、これは80年の作品。

作品の内容はってえと、これがもう、1回見ただけだと、何が何やら分からない混沌具合。テーマは個人に内在する善と悪、その戦いだと思うのだが、表現の仕方があまりにも突拍子もないというか、極端というか、不条理というか、頭の中で辻褄が合わせられない。しかし僕はこういうのが大好きなのだった。であるからして、この作品も当然好き。度々観る。

舞台はドイツの近郊都市で、単身赴任から帰ったマルク(サム・ニール)は、妻のアンナ(イザベル・アジャーニ)の態度の変化に気づく。次第に妻には不倫の相手がいることが分かるのだが・・・同時にアンナの中で何かが壊れていくようでもある。子供を預けている学校でアンナと瓜二つの女性(こちらもイザベル・アジャーニ)に出会い、惹かれるマルク。そして教会でイエスの像を眺めた後、駅の連絡通路もしくは地下トンネルのような箇所で、買い物バッグを壁に叩きつけ、狂気をたたえた目を見開き、ヒステリックに大声で叫び、床をのたうち回り、口からゲロを吐き、股から血液のような赤い液体を流すアンナ・・・彼女は自分の中で何かが始まり、あるいは終わりつつあることを感じる。かくして生まれた奇怪な生物(これは彼女のイドだという見方もある)を一人暮らしの部屋に隠して殺人を続けるアンナ。やがてアンナはその怪物と交わるようになり、それを目撃したマルクは、それでもなおアンナをかばい、警察の手からアンナを逃がそうとする。その過程で瀕死の重傷となるマルク。そのマルクに追いついたアンナのそばにいるのが、なんとマルクと瓜二つの男(サム・ニール)。アンナは彼を「新しい恋人だ」と称する。しかし追いついた警官たちの手でアンナは撃たれ、マルクと共にその場に横たわる。自らの手で、自身とマルクに銃弾を撃ち込むアンナ。そしてキスを交わす二人。マルクと瓜二つの男は、逃走。彼が再び現れるのが、マルクの部屋。そこでは、アンナと瓜二つの女性が、マルクの帰りを待っていた・・・。鳴り響くインターホン。マルクの幼い息子ボブは、「開けないで」と言って、バスルームへ突っ走り、まるで自殺でもするかのように、水を張ったバスタブに身を投じる。と同時に、部屋の中では、電灯が明滅し始める。玄関へ向かう女性の目には、すりガラスの向こうにいる男が、中に入ろうとドアに身体をベッタリと押し付けている様子が見える。明滅する電灯。そして空襲警報のようなウーウーいう音が鳴り響く。女性はクルリとこちらを向いて、緊張したような強張った表情をし、笑っているのか、笑っていないのか、複雑な顔をする。どちらなのか、観る者が目を凝らしていると・・・画面は暗転し、スタッフロール!そこで終わり。

たぶんアンナとマルクにそれぞれいる瓜二つの人物は、善か悪を表しているんでしょうけど、どちらがどちらなんでしょうね。死んだのはどちらなのか、そして最後に出会ったのはどちらなのか。物凄い余韻を残す、ミステリアスな映画です。なんといっても、この不条理な展開に気色悪いほどのリアリティを与えているのが、イザベル・アジャーニの鬼気せまる演技。ホントに○○ガイなんじゃないのかと疑いたくなるくらいヒステリックで、そんじょそこらにはない狂気を振りまいている。演技を感じさせない狂気。焦点があっているような、いないような不思議な眼。病的な言動や笑い。しかし彼女は美しいのだ。「この頃が絶頂」という言葉もあるけれど、僕もそう思う。もんのすごく綺麗。男なら誰でも懇意になりたくなるような、ハッとするような美しさ。そして美しすぎるものには潜在的な狂気を感じるのがしばしばであるからして、まさにこの役はハマリ役だと思う。二役の演じ分けもお見事。

でもやっぱり、映画の中身はよく分からないんだよなあ(笑)。ホモセクシャルの私立探偵たちは、何のためにホモという設定なのか。アンナに「たぶらかされない」という設定にするために、ホモにする必要があったんだろうか。あとそれぞれの人物の行動の動機がナゾだし。誰か分析してください。

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